NPO法人建設スクエア北海道の勉強会を実施いたしました。今回は、2月9日(土)に空知管内は、赤平市にある「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」にて、近代日本の発展に大きく寄与した炭鉱施設の遺構を見学して参りました。
近代化が目覚ましかった明治から昭和初期にかけての日本では、発電や製鋼、船舶や鉄道の燃料用として大量の石炭が必要となりました。そこで北海道に眠っている石炭を大量に採掘し、鉄道と船を使い、本土の各地へと供給する体制が急ピッチで整えられましたが、この赤平市にも、4つの大きな炭鉱が開発され、最盛期の昭和40年頃には年間200万トンもの石炭を産出し、それに伴い住民の数も5万5千人を数える程の賑わいを見せておりました。
ところがエネルギー政策の変更により、石炭から石油へのシフトが進むにつれて閉山を余儀なくされ、住民は他に仕事を求めてこの町を離れていきます。今では人口が1万人弱にまで減少し、地域によっては限界集落化しているところもあるなど、非常に厳しい状況になっているようです。
※特に平岸、百戸町北、茂尻宮下町等は総務省によると消滅集落になっているようです。
※CSVファイル
そんな厳しい情勢の中で、昨年(2018年)7月14日(土)にオープンしたのが、この「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」です。この施設は、旧住友赤平炭鉱立坑部を炭鉱遺産として後世に残すことを目的として作られたもので、元炭鉱職員によるガイド付きでその巨大な立坑施設を見学することが出来るという優れたものです。
※全国的にも立坑内部を見ることが出来るのはここだけのようです。
立坑が完成したのは昭和38年(1963年)ですから、今から実に半世紀以上も前のものです。その巨大な空間や高さ、そして地下650mもの深さまで下りることのできるエレベータ設備等は、当時の日本では最先端のものと言っても過言では無いでしょう。
地中深くにまで下りた炭鉱夫たちは、ひたすら石炭の掘り出しに汗を流して日本の発展に貢献したのです。危険と隣り合わせの仕事のように思えますが、この住友赤平炭鉱については特に大きな事故が無いままにその歴史を終えたとのことでした。
また、立坑跡から車で1分ほど離れた場所には、坑内で採炭や運搬に使われた大型機械が、当時の威容を示した状態で保存されています。
見学を終えてしみじみと思ったことは、炭鉱とは実に超ハイテクを駆使した先進的な現場だったということでしょうか。
地中深くに縦横無尽に掘り進めた結果、まるで毛細血管のような坑道になっており、管理されていないかのようにも見えましたが、実はすべて測量が行われてきちんと図面に落とし込んでの管理がされていること、巨大なモーターによるエレベータにて人員や掘った石炭を地上に上げることができる立坑式の構築技術や運搬技術、そして自走枠式等の大型採炭用機械装置等は、漠然と炭鉱は技術的に遅れた産業だとの誤解したイメージを一気に払拭してしまうのに十分なだけの説得力がありました。
ということで、この「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」は一見の価値がありますので、ぜひ一度行ってみてはいかがでしょうか。CSHとしてもお勧めいたします。きっと新しい発見があることでしょう。
■連絡先:0125-74-6505
■営業時間:9時半から17時(入館は16時半まで)
■休館日:月曜日及び火曜日
(ただし、この日が国民の祝日に関する法律(昭和32年法律第178号)に規定する休日に当たるときは直後の平日)・年末年始(12月31日から1月5日まで)
■ホームページ:赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設
■関連:赤平観光協会
文責:建設スクエア北海道 柿崎